The Beatles × GEKKOSOビートルズと月光荘

Back to 1966

ビートルズの4人が共に筆をとって描いた絵が、世界に1枚だけ存在しています。それは月光荘画材によって制作されました。

1966年6月。歴史的瞬間であったビートルズの来日公演時、熱狂から身を守るという警備上の理由から、メンバーの4人は滞在期間中のほとんどを宿泊先の東京ヒルトンホテル(現在のザ・キャピトルホテル 東急)にて缶詰状態で過ごすことになります。

ライブ会場である武道館とホテルの往復に退屈してしまった彼らは、伝説の絵と言われている「IMAGES OF A WOMAN」という1枚の絵を描き残しました。実はこの作品は、絵の具、筆、パレットとすべて月光荘の画材で描かれています。

ビートルズを日本に呼んだプロモーターの永島達司さんから、「ビートルズが絵を描きたいと言っている。高くてもいいから日本一の画材を買ってきてくれ!」と言われた関係者の方が、銀座の月光荘まで買いに走ってきたとのこと。浅井慎平さんの写真集『 The Beatles in Tokyo, 1966』にも、月光荘のホルンマークがはっきりと写っています。

絵のテーマは「それぞれが人生で欲しいもの」ということで、中央に卓上ランプを置いて描かれており、4人がそれぞれ四隅から描いています。ランプが置かれていたところが白く残っており、そこに全員のサインが記されています。


制作風景はビートルズの友人だった写真家のロバート・ウィテカーが撮影しており、ロバート・ウィテカー氏は当時を振り返って「あの時ほどあんなに穏やかで満ち足りた4人を見たことはなかったよ。4人は描くのを止めて武道館にコンサートをやりに行き、公演が終わると『さあ、絵を描きに戻ろうぜ』とホテルに飛んで帰ってきたんだ」と語っています。

ホテルから出られないほどのファンの熱狂が結果的にこの作品を生み出し、会場となった武道館の狂乱の中で、4人がホテルに戻って絵を描くことを考えながらコンサートをしていたと考えると、ビートルズにとってはちょっとほろ苦いエピソードと言えそうです。

身体は朽ちても、作品の輝きはいつまでも色褪せない。そんな本物を残していけるよう、月光荘は今日もアーティストと共に歩んでいきます。

参照:buzzap.jp「ビートルズの4人が来日時に全員で描いた、世界でたった1枚の絵」by 深海

写真提供:Benjamin Whitaker


Photographer:
Robert Whitakerロバート・ウィテカー

1939-2011。イギリス・ハートフォードシャー生まれ。オーストラリアへ移住し、メルボルン大学で学んだのちフォトグラファーに。1964年、オーストラリアを訪れたビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインに見出され、1966年までビートルズの公式カメラマンを務める。ビートルズ11作目のアルバム「イエスタディ・アンド・トゥデイ」のカバー写真を撮影したのもロバートで、ブッチャー・カバーと呼ばれているこの作品は、カバー写真に写る生肉やバラバラの人形がグロテスクだと不評で、発売前に回収されました。回収を逃れた一部の商品が幻のアイテムになり、今では高額な値がつけられています。ビートルズのカメラマンののちは、クリームの『カラフル・クリーム』のジャケットを手がけたほか、フォトジャーナリズムやアート写真など、幅広いジャンルで活躍した。