Genichiro Inokuma × GEKKOSO猪熊弦一郎と月光荘

猪熊弦一郎さんは、月光荘創業者である橋本兵蔵と非常に親しかったアーティストの一人です。


ご夫婦で銀座で映画を観た後には「おやじ、いるかぁ?」とお店に入ってきて、見てきたばかりの映画のシーンを涙を流しながらお話ししてくださったものでした。


兵蔵は猪熊さんのパリ行きの船も見送りに行きましたが、途中に立ち寄ったニューヨークを気に入って約20年も滞在。その魂の自由さに皆が魅了されていました。

兵蔵も見送りに行った、猪熊ご夫妻を乗せたパリ行きの船

壁画「自由」

猪熊さんには月光荘の油絵の具をご愛用いただいていて、1951年に制作され、現在でも上野駅の中央改札口を飾っている壁画「自由」を制作する際に、「クリーミーな軟らかい白を作ってくれよ」という猪熊さんからのリクエストで製造されたのが、「チタンホワイト(No.1)」です。

上野駅中央改札にある壁画「自由」

2002年にその壁画の修復作業が行われ、ペンキの部分は劣化していたけれど、月光荘の油絵の具の部分は問題なかったとのこと。職人と共に、そのニュースを心から喜びました。

アートの価値は時間という残酷なフィルターを通ってこそ、その真価が問われます。芸術家の魂を少なくとも50年間守れたことは、最低限の絵の具屋としての責任を果たせたと小さな誇りを感じると共に、その責任の大きさに職人をはじめ月光荘スタッフ一同、改めて身の引き締まる思いでした。

スケッチブック制作

またオリジナルのスケッチブックの開発時には猪熊さんが、ホルンマークはこのあたりに入れよう、紙質はどれが描きいいかなど、基となるデザインを一緒に考えてくださいました。背表紙からコイルがでる部分を少なくすることで、棚やバッグから取り出すときにコイル同士が引っ掛からないよう工夫されている製本デザインも、猪熊さんとのやり取りの中で完成したものです。

現在も当時とほとんど変わらぬデザインのスケッチブック

仲間との交友

1949年に建てられた慶應義塾大学学生ホールは、建築家の谷口吉郎さんが設計、ホールの大壁画を猪熊弦一郎さんが制作。そしてその絵の具を提供したのが月光荘でした。この三者のご縁は、プライベートにも及びます。

1955年、猪熊さんに絵の手ほどきを受けていた仲間10人が集まって、長野県の軽井沢に「画架の森」という十軒の長屋形式の別荘を作りました。

真珠のミキモトの社長だった御木本美隆さんが軽井沢に安い土地を探してきて、建築家の谷口吉郎さんが設計。月光荘も仲間に入れてもらいました。十軒長屋には猪熊さんや谷口さん、御木本さんの他、政治家の森清さん、作曲家の服部良一さん、宣弘社の小林利雄さんなどがいて、毎年夏になると「森開き」と呼ばれる野外パーティーが開かれ、ジョン・レノンとオノ・ヨーコご夫妻や、元内閣総理大臣の鳩山一郎ご夫妻も遊びに来ていました。

そこには損得勘定のない、大人たちの秘密基地のような自由な空気が流れていました。

「森開き」の日には、長屋の子供たちを集めた猪熊さんによるお絵描き教室が開かれました。猪熊さん自身がモデルとなって、子供たちが月光荘画材で自由に描くのです。

「髪の毛は本当に黒かな?肌の色は?良く観察するんだよ。自分の思ったまま、感じたままの色でいいよ。」「僕はじっとしていないからね。」

猪熊さんはそう言って、本当に好きなように動き回るのでした。