Ryoko Moriyama × GEKKOSO森山良子と月光荘

歌手・森山良子さんのデビュー曲「この広い野原いっぱい」は、月光荘がきっかけで誕生しました。

1966年、ラジオ関東(現ラジオ日本)の『フォーク・カプセル』にレギュラー出演していた森山さんが、番組収録スタジオのロビーに置かれていた月光荘スケッチ・ブックをたまたま手にし、裏表紙に印刷されていた詩を気に入って、ものの30分で曲をつけたのでした。

今でも古い月光荘スケッチブックの裏表紙に残されている詩

そしてラジオ番組でオンエアするとすぐに評判を呼び、1967年1月2日にフィリップス・レコードからリリースされると瞬く間に大ヒットソングとなり、これが森山さんの記念すべきレコードデビューとなりました。

そんな不思議なご縁で誕生した楽曲ですが、困ったのが著作権を管理する新興楽譜出版(現シンコー・ミュージック)の担当者さん。

月光荘スケッチ・ブックの裏表紙にある詩の作者を確認しようと月光荘に問い合わせたのですが、たまたま店主が不在で対応した月光荘スタッフもすぐには分からず、レコードの発売を急いでいたレコード会社が仕方なく月光荘創業者の橋本兵蔵の名を文字って高橋兵蔵とし、レーベルやレコードジャケットの作詞者名としてクレジットしたのでした。

その後、この詩はスケッチブックを制作した当時に月光荘スタッフだった小薗江圭子さんの作品だということが無事に判明し、発売半年後の第二版よりレーベルやジャケットの作詞者クレジットは、高橋兵蔵から小薗江圭子さんに差し替えられました。

高橋兵蔵表記のレコードは、デビュー盤にだけ確認できる幻のクレジットとなりました。

後日談。

改めて正式に作詞著作権契約を交わした小薗江さんは、フィリップスレコードのプロデューサーだった本城和治さんから未発表の詩を見せて欲しいと依頼され、書き溜めた10遍ほどの詩を提出。

その内のひとつが、ちょうどギリシャ出身の新人アイドル歌手ヴィッキーの新作のイメージにピッタリということで採用され、当時まだ大学生だった村井邦彦さんの作曲によってリリースされました。

それが1967年12月から翌年3月にかけてヒットした「待ちくたびれた日曜日」です。村井邦彦さんにとっても、作曲家としてのデビューとなりました。

プロデューサー本城和治さん談
「『この広い野原いっぱい』『待ちくたびれた日曜日』の2曲の詞は小生が長年関わった多くの日本の歌作りの中で、その瑞々しい感性に最も心打たれた数少ない作品の一つであることに変わりありません。」